平成17年1月10日(月)
 「おべた!」





 またしても京都ネタなんだけど、最近、普段の生活で京都弁を使ってみたりする。よく関西出身でない者が吉本の芸人とかを真似て関西弁を使うと、本場の関西出身の者から、「よそもんがへんな関西弁使うなや〜、めっちゃさぶいわ〜」などとすかさずツッコミが入るのをよく見かけるが、純粋に京都弁の持つ響きや暖かさに惹かれて言ってみたくなることくらい、許してもらえないだろうか。

 思うに、方言と言うのは面白いものだと思う。というのは、多分京都弁は九州という土地には馴染まないだろうし、関西に東北弁は根付かないだろう。方言のもつメロディやリズムというのは、土地の風土と切っても切り離せないということ。ここのところ、熱病のように日本映画を見ているが、山形弁、岩手弁、京都弁、博多弁、沖縄弁・・・この列島には、たくさんの方言があり、それはやっぱりその土地と一体化してこそ水を得た魚のように新鮮味を帯びるのだと思う。

 以前、どこかの雑誌で「世界で最も美しい言語はフランス語」であることが科学的に立証されたと読んだことがあるが、パリが世界の都であるなら、やっぱりフランス語もそれに相応しい気品を備えているような気がする。シャンゼリゼのカフェでスペイン語や中国語が飛び交うなんて、やっぱり変だと思うのだ。

 そういえば、コミュニケーションのツールとしての言語というのは、伝えたい情報の70%しか伝えることができず、残りの30%は、手振りや仕草と言ったボディ・ランゲージによって補完されるそうだ。その中でも日本人は、あまりジェスチャーや表情を使わない人種なので、そのぶん日本語というのは、言語それ自体で伝えることができるニュアンスのキメが細かいのではないかと思う。そういえば、東京国際映画祭で日本映画に英語の字幕がついているのを見て、同じことを感じたことがある。ビジネスにおける日本語の英訳には違和感を感じないが、映画となると、これが実に酷い。表現が粗すぎて、感情のひだもなにもあったものではない。

 僕にも出雲という列記とした起源があり、そこには出雲弁(東北弁のズーズー弁に酷似している)なるものがあるが、上京した当時、僕はこの方言に酷くコンプレックスをもったものだ。例えば、出雲弁では「びっくりした!」ということを「おべた!」というのだが、これが何とも田舎臭い。在りし日のメンズノンノで読んだ「方言は大学デビューを妨げる可能性が最も大きい重要ポイント」という一文に恐れ慄いていた当時の僕は、華やかな東京で何かの驚いた拍子に「おべた!」を発した日には、潔く荷物を片付け実家に引き下がろうと、妹と半分真剣に思案したものだ。

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 とまあ、言語についてあまりよく考えず書き連ねてみたが、言語は文化の結晶。掘れば掘るほど新しい発見があり、好奇心を惹き付けて止まない研究対象だ。皆さんも言語について面白い逸話や発見をお持ちなら、是非とも本当に、メールにてご教示いただきたい。

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